親の介護は家族だけでできる?父の「大丈夫」を信じた私が気づいた現実

親の大丈夫を信じていた頃の様子

母が認知症になった頃、私は「家族だけで何とかできる」と思っていました。

父が一緒に暮らしている。

近くには弟夫婦もいる。

だから、まだ大丈夫。

そう思いたかったのです。

父もいつも、

「何とかするから心配せんでええ。」

と言っていました。

その言葉を信じていました。

でも今振り返ると、一番信じたかったのは父ではなく、自分自身だったのかもしれません。


父の「大丈夫」を信じていました

母の認知症が分かった後も、父はできる限り普段通りの生活を続けようとしていました。

家事もする。

母の世話もする。

私が心配しても、

「何とかするから心配せんでええ。」

そう言っていました。

私は横浜。

両親は大阪。

毎日の様子を見ることはできません。

だからこそ、その言葉を信じたい気持ちがありました。

もちろん、不安がなかったわけではありません。

「本当に大丈夫なのだろうか。」

そんな気持ちは、ずっと心のどこかにありました。

でも、父がそう言う以上、私はそれ以上踏み込めませんでした。


少しずつ生活は変わっていました

母はお風呂に入らなくなりました。

料理もしなくなりました。

食べ物の好き嫌いが増え、食べる量も減っていきました。

デイサービスも利用しました。

宅配弁当もお願いしました。

それでも、生活全体を支えることはできませんでした。

今思えば、介護は一つのサービスで解決するものではありません。

お風呂。

食事。

買い物。

掃除。

そして、一緒に話をする時間。

一つずつできないことが増え、それを家族が補い続ける毎日だったのです。


「もう無理だ」と思った日

決定的だったのは、弟夫婦が定期的に実家を訪ねた時でした。

父が倒れていたのです。

その知らせを聞いた瞬間、

私の頭に浮かんだのは一つだけでした。

「もう無理だ。」

父も限界だったのです。

介護で大変なのは母だけではありませんでした。

支える側も少しずつ疲れ、限界へ近づいていたのです。

あの日、私はようやく現実を受け入れました。

家族だけでは支えきれない。

その現実を。


一番後悔していること

今でも後悔していることがあります。

父の

「大丈夫。」

という言葉を、そのまま信じてしまったことです。

父は弱音を吐きたくなかったのでしょう。

家族に迷惑を掛けたくなかったのでしょう。

だから「大丈夫」と言った。

でも、その言葉を私は額面通り受け止めてしまいました。

本当はもっと様子を見るべきでした。

もっと早く人の力を借りる方法を探すべきでした。

父の言葉を疑うのではありません。

言葉だけでは分からない現実もある。

それを知るべきだったのです。


今振り返ると分かること

この経験を通して、私の中に一つの判断軸ができました。

「親が元気だから」ではなく、「親が元気なうちに老後(要介護)生活へ切り替える準備を始めることが大切だ。」

多くの親は、

「まだ大丈夫。」

と言います。

でも、その言葉だけでは判断できません。

本当に大丈夫なのか。

生活は少しずつ変わっていないか。

家事は負担になっていないか。

食事は取れているか。

そうした日常を見守ることも、家族にできる大切な役割なのだと思います。

老後の準備は、介護が始まってからでは遅いことがあります。

元気なうちだからこそ、サービスを知り、家族で話し合い、少しずつ生活を切り替えていく。

それが結果として、親の負担も家族の負担も軽くすることにつながるのではないでしょうか。


当時の私は、

「家族だけで何とかできる。」

そう思っていました。

でも現実は違いました。

家族だけでは支えきれない場面が、少しずつ増えていったのです。

今、当時の自分に伝えるなら、こう言いたいと思います。

「『大丈夫』という言葉だけを信じないで、生活そのものを見てあげて。」

親は、元気でいるように見えても、少しずつ変わっているかもしれません。

そして、その変化に早く気づくことが、親を守ることにも、家族を守ることにもつながるのだと思います。

皆さんなら、親の「大丈夫」という言葉を聞いた時、言葉だけを信じますか。それとも、その暮らしぶりまで見ようとしますか。

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