認知症の親を引き取る決断|父の「安心できる」が教えてくれたこと

母だけを迎えた日

父の入院で迫られた決断

母が認知症になってからも、父は大阪の実家で母と暮らしていました。

老夫婦で何とかやっていける。

そんな思いで毎日を過ごしていたのだと思います。

しかし、その父が入院することになりました。

その瞬間、母を一人にするという選択肢はありませんでした。

私たち家族が選んだのは、母だけを横浜へ迎えることでした。

迷う時間はほとんどありませんでした。

「今できる最善を選ぶしかない。」

それが当時の率直な気持ちでした。


母は状況を理解していませんでした

母を横浜へ迎えた時、母自身は状況を理解していないようでした。

大阪を離れ、見慣れない家へ来ても、不安そうな様子はありませんでした。

認知症が進んでいたため、自分が置かれている状況を十分に理解できていなかったのだと思います。

一方で、父は

「申し訳ない。」

そして、

「これで安心できる。」

そう話していました。

その言葉を聞いて初めて、父がどれだけ一人で抱え込んでいたのかを知りました。

弱音を吐かなかった父も、本当は安心したかったのです。


新しい生活は想像以上でした

横浜での生活が始まると、新しい課題が次々と出てきました。

特に大変だったのは、夜の徘徊でした。

夜になると母は家の中の部屋やトイレを行き来し、目を離すことができませんでした。

さらに失禁も増え、夜に起こされることが続く生活になりました。

介護は、気持ちだけでは続けられない。

その現実を毎日の生活の中で痛感しました。

家族だから頑張れることもあります。

でも、家族だからこそ限界もあります。

そのことを、私は身をもって知ることになりました。


今でも良かったと思えること

あれから長い年月が経ちました。

母は今も健在です。

もちろん、介護は決して楽ではありませんでした。

親への想いはあっても、粗相に腹が立ち叱責してしまうこともありました。

母親も大阪へ帰る素振りをする時もありました。

それでも今振り返ると、あの時の決断を後悔したことはありません。

むしろ、

「想いだけでは介護ではない。介護はプロに任せるという判断をしたことは間違っていなかった。」

そう思っています。

家族だけで全てを抱え込もうとしていたら、母だけでなく父も、そして私たち家族も疲れ切っていたかもしれません。

介護サービスを利用することは、家族が介護を放棄することではありません。

家族が家族であり続けるための選択でもあるのだと思います。


今振り返ると分かること

以前の私は、

「家族なら最後まで家族だけで支えるべきではないか。」

そんな思いをどこかで持っていました。

でも介護を経験して、その考えは変わりました。

介護で一番大切なのは、「誰が介護をするか」ではありません。

本人が安心して暮らせること。

そして支える家族も、心と体を壊さずに続けられること。

その両方を守ることだと思うようになりました。

人生後半には、自分だけでは答えが出せない選択が何度も訪れます。

その時、「頑張ること」だけを基準にすると苦しくなることがあります。

だからこそ、

「必要な時はプロの力を借りる。」

それも大切な判断軸の一つなのではないでしょうか。


父が入院したあの日、私たちは母だけを横浜へ引き取る決断をしました。

迷いはありました。

不安もありました。

それでも、その時にできる最善を選びました。

今、当時の自分に伝えるなら、こう言いたいと思います。

「介護はプロに任せるという判断は、間違っていなかったよ。」

家族だけで頑張ることも大切です。

でも、家族だけで抱え込まないことも同じくらい大切なのだと思います。

もし今、親の介護について迷っている方がいるなら。

あなたなら、「家族で頑張ること」と「人の力を借りること」の境目を、どこで判断しますか。

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